アメリカ 旅 行 記

日  程:’90-8

場  所:ロサンゼルス&サンディエゴ

都立高校に入学して、ハワイに行こう!という母の言葉にのせられ
無事都立高校への入学が決まった私が行った場所はアメリカ本土でした。

丁度、旅行会社が出していた短期留学の広告を母が見つけたので申し込んでくれたのです。
こうして私は贅沢なことに親のお金で初めての海外旅行を体験することが出来ました。

もうかなり前の話なので思い出すのも大変なくらいなのですが…私が行った場所は
カリフォルニア州南部の港町サンディエゴというところです。
ロスからサンディエゴまで高速道路で2時間半くらいの距離にあります。
初めての海外、ホームステイだったのでかなり緊張した覚えがあります。
空港に降り立ったとき、空港にアーチ状の建造物があったように思います。

この旅行会社主催の短気留学には、日本から若い女性のスタッフも一緒でした。
かなり頼りなさそうな人でしたが、私たちが頼れるのはこの人だけ…
平均年齢が17歳くらいの総勢30名ほどの参加者が居ました。

空港からバスに乗り、2時間以上もメキシコの方角に行くとサンディエゴに到着です。
小さな集会場でバスは止まり、荷物と一緒に降りました。
そこから現地スタッフの家に行って、それぞれのホストファミリーが迎えに来てくれるのを待ちました。
私のホストファミリーとなる人はなかなか訪れず、当時まだ17歳程度の私が初めての海外旅行
しかも親元離れて1ヶ月なんていうのは今までなかったことなので知恵熱を出してしまい
ベットを借りて横になっていました。 どのくらい待ったでしょう… やっとそのホストファミリーが迎えに来てくれました。

彼女の車に乗り込み、最初なんて話していいのか判らないはずなのに
私は酔うのも忘れて英語の辞書片手に一生懸命話し掛けたのを覚えています。
現地での初めての話題は私の犬の名前や家族のことだったと思います。
今思うとかなり度胸があったと思います…(;^_^A  

彼女のおうちに到着して、まず私が使ってもいい部屋を案内してくれました。
6畳ほどの広さのあるお部屋にはクローゼットと鏡、ベットがありました。
引き出しはいくつか空けておいてくれて、好きに使って言いと教えてくれました。
部屋の向かい側にはバスルームがありました。 日本とは違い、トイレもシャワールームも
一緒で、とっても可愛らしいバスルームでした。
彼女は私にゆっくりな英語で『ここはあなたが好きなときに好きなだけ使っていい』と言ってくれたのを
よく覚えています。 彼女の家にはベットルームが2つ・バスルームが2つキッチンとリビングがある
広い平屋のおうちでした。 車庫には家に入るドアがあって、いちいち玄関には行かなくて
済む作りになっていました。 車庫にはシャッターがついていて、車に乗ったままリモコンで開閉自由。
日本とは全然違うと感激したものです。

私のホストファミリーは当時独身だったジャネットという女性と彼女の飼っていた猫のキティでした。
保険会社に勤めていた彼女はバリバリのキャリアウーマンで一度彼女のオフィスに連れて行ってもらったことがあります。
料理があまり得意ではなかったけれど、優しくて、いつもゆっくり話の相手をしてくれて、
本当によくいろんな場所に連れて行ってくれました。
野球観戦・航空ショー・ゲイだった弟夫婦(?)など。

彼女の家にいる間は午前中は教会の一室を借りた場所で授業を受け、
午後は遊びに連れて行ってもらったりしていたように思います。

たったの3週間しか彼女とは一緒にいなかったけれどよく私の相手をしてくれました。
3週間のホームステイのあと、この企画にはオプションとしてサンフランシスコ観光があったので私は観光に行きました。
高校2年生のときだったので、受験の心配や年上に混じっているときに緊張感などまったくなく
私にとってはいい時期に経験が出来たと思える旅でした。


日  程:’92-8

場  所:ロサンゼルス&サンディエゴ in ポイントロマナザレンカレッジ

高校を卒業後、私は千葉市内にあるアメリカンスクールのような短期大学に入学しました。
この学校には海外に、いくつかの姉妹校があり毎年夏休みに短期留学ができるので、私も参加しました。

実はイギリスに行ってみたかったのですが、入学してすぐに仲良くなった友達
(マタカ…彼女のニックネーム)がどうしてもアメリカに行きたいと言っていて、悩んだのです。
姉妹校はサンディエゴにあります。
高校時代短期留学をした経験のある私にとっては2度も同じ国に行くのはもったいないと思っていました。
しかし、マタカと一緒に短期留学をしたら一生いい思い出話ができると確信していたので
思い切ってまたアメリカに行くことを決意しました。

1年置いてまたアメリカに行きたい。 そう両親に相談したとき、全く反対されませんでした。
お金の面で負担をかけてしまうことは充分判っていましたが、両親はOKしてくれたのです。

こうして私は10代という若さで、2度もアメリカへ短期留学をすることが出来ました。

現地では、私はマタカとペアになりすべての行動を共にしました。ホストファミリーも同じ。学校の寮の部屋も一緒。
ここでも午前中は姉妹校の大学の構内で授業を受け、午後は動物園や遊園地・海などに行って遊びました。
食事は学校の中にある学生が利用する食堂です。 バイキング形式で好きなものを選ぶことが出来ます。
寝泊りは学生寮。 夏休みということもあり、部屋は空いていました。 本当にアメリカに留学した気分を味わうことが出来ました。

様々な体験や、経験をすることが出来た中で一番嬉しかったのは、高校時代に留学したときにお世話になった
ホストファミリーが会いに来てくれた事です。
学校に到着して数日たったある日、私は思い切ってジャネットに電話をかけてみることにしました。
つたない英語でしたが、ジャネットは私だとすぐにわかったようで、いろんな話をしました。
今、サンディエゴの大学に短期留学で来ている事、ジャネットに会いたいということ、家族のことや友達の事を
たくさん電話で話ししました。 そして、ジャネットは仕事を終えたら会いに行くから、待っていてねと言ってくれたのです。
約束の日、私は大学の門の前でジャネットを待ちました。 友達も一緒に待ってくれました。
そして、ジャネットは私が最初にジャネットの家に行ったときに買った赤い車で本当に会いに来てくれたのです。
このときは、私もホストマザーのジャネットも泣きながら再会を喜びあいました。
学校の中に案内して、友達と輪になっていろんな話をしました。 忘れられない思い出です。

他にもいろいろなことがありました。一緒に行った仲間が部屋の中で洗濯物を干そうと物干しロープを
スプリンクラーに引っ掛けて干したところ、スプリンクラーが作動してしまい部屋中水浸しになってしまった事件がありました。
その時には先生やら、水道屋さんなど大勢の人たちが駆けつけて来てしまい大騒ぎとなってしまいました。
スプリンクラーの水道管の中にはもう何年も水が溜まっていたのでにおいが強烈…
カーペットもベットも腐ったにおいがして大変でした。

みんなでビーチに遊びに行ったとき、マタカが砂地のくぼみに足をとられてしまい、捻挫してしまったり…
メキシコへ行ったとき、小さな子供が紙コップを持って傍に来て『お金かお水をちょうだい』と言って来る姿に胸を痛めたり。

ホストファミリーの家に1泊2日で泊まりに行ったときには、ホストファミリーの知り合いの結婚式に参列したりもしました。
海外の結婚式に参列できたことは私にとってもいい思い出となりました。

私とマタカのホストファミリーは姉妹校の大学の教授だったのでよくホストファザーのオフィスに顔を出していました。
娘がいない人だったのでとても可愛がってもらいました。
他の子たちのホストファミリーは一般の家庭の方が圧倒的に多かったので、いつでも学校内でホストファミリーと会える
私とマタカはラッキーでした。

この短期留学に参加したお陰で今でもマタカや他に一緒に行った親友とはいい思い出話に今でも花が咲きます。




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